Kenta Iwamoto が最初のクライアント

前回、彼から「面白そうですね。僕がやりたいです」と返事が来たところまで書きました。
今回はその後の話です。作り始めて最初の週で、僕はひとつ気づきました。それまで組み上げてきた設計は、彼には合っていませんでした。
僕が出したはずの「答え」
二話で書いたとおり、僕は検索エンジンを作って、それを捨てました。技術ライブラリの価値は本数では決まらない。決めるのは構造だ。だから道場(アカデミー)の形にしよう、と。
先生がいて、カリキュラムがあって、先週やったことと今週やることが繋がっている。生徒はクラスで教わったことに戻ってくる。その構造をそのままオンラインに置く。それが僕の答えでした。
自分では、かなり良い答えを出したつもりでいました。
そこに来たのが、道場の先生ではなく、選手でした。
生徒がいない人のためのライブラリ
岩本健汰には、毎週クラスに通ってくる生徒がいるわけではありません。彼は試合に出て、勝ち、その技術を見せている人です。
彼のサイトを見に来る人は、先週のクラスの復習をしに来るのではない。その場にいなかった人が、彼の技術を見に来る。日本の別の県から、あるいは海外から。彼と練習したことがない人がほとんどです。
- 道場(アカデミー)は、すでに教わったことに戻る場所
- 選手(コンペティター)のライブラリは、まだ教わっていないことに出会う場所
同じ「動画が並んでいるサイト」でも、必要な形が違います。僕は前者の形しか作っていませんでした。
Patreon より、わがままに
彼はすでに会員制の動画配信をやっていました。使っていたのは Patreon です。
だから僕の売り込みは一つだけでした。Patreon よりも、あなたのわがままな機能を入れられます。 それで採用してもらいました。
言い換えると、Patreon より使いにくかったら終わりです。彼にとっても、会員にとっても。そこから先は、彼が必要だと言った機能を片っ端から入れていく日々になりました。
彼が売っているもの
作りながら、彼のコンセプトを聞きました。要約すると、こういうことです。
人間である以上、限界は必ずある。ただ、自分のグラップリングの限界がどこにあるのかは、誰にもわからない。だから、そこに挑み続けるための手助けをしたい。
彼が売っているのはカリキュラムではない。限界への挑み方です。技術は、そのための材料でしかない。
そして彼は、その世界観を映画『マトリックス』に重ねていました。派手だからではありません。限界だと思っていたものが、本当は限界ではなかった。あの映画の芯はそこにあります。彼が言っていることと同じです。
だからサイトは、道場のきれいなテンプレートであってはいけなかった。
デザインに、存分に反映した

背景にはデジタルレインが流れています。色は黒と緑。トップには彼の名前が画面いっぱいに置かれ、その横に「自分の限界は、本当にそこなのか」と出ます。
細かいところも全部合わせました。写真の上に文字を重ねない。緑の面に白い文字は乗せない。日本語の中に混じるアルファベットの書体まで指定する。
汎用のプラットフォームでは、ここは一つも実現できません。 テーマを選び、色を変え、ロゴを差し替えることはできる。でも「この人のサイトである」というところまでは行けない。
「スマホでしか更新できない」

作り始めてすぐ、彼が何気なく言いました。スマホでしか更新できない、と。
それだけの一言です。でも、僕はそこで初めて気づきました。自分がパソコンの人間だったということに。
管理画面も、動画を上げる手順も、パソコンで操作する前提で組んでいました。スマホは「見る側」の画面で、「作る側」がスマホしか持っていないとは考えていなかった。
でも選手の生活は、マットの上と移動の間にあります。机の前に座る時間はほとんどない。
だから、すぐに作り直しました。スマホから更新できるようにして、サイト全体もスマホで崩れない形に直した。直しているうちに、ほかのテーマにも全部同じ問題があると分かりました。パソコンでしか確認せずに作ってきたからです。
最初の注文は、字幕だった
本格的なカスタムの一つ目は、字幕でした。
彼はバイリンガルで、日本語の動画も英語の動画も出しています。ファンはどちらにもいる。ただ、先に日本人向けに作っていたので、会員は日本人が多かった。そろそろ英語圏の人も入れたい、と彼は考えていました。
そこでサイト自体を、ボタン一つで日本語と英語が切り替わる形にしました。
問題は、日本語だけ、英語だけで撮った動画がところどころにあることです。どちらの会員も全部見られるようにするには、字幕が要る。
SubPro には字幕をつける機能がもともとあったので、さっそく使いました。ところが精度を見た彼は、もっと上げたいと言った。
そこで辞書を作りました。彼の言い回しや技の名前を先に教え込んでおけば、聞き取りのミスは起きにくくなる。もう一つ助かったのは、彼がマイクをつけて収録していたことです。声がきれいに録れていたので、聞き取りはかなり正確でした。
翻訳も、完璧ではないにせよ、おおむねうまくいきました。500本近い動画を一気に処理して、商品として出せるところまで仕上げられた。
吹き替えという壁
彼の注文は、そこで終わりませんでした。
字幕くらいは今の時代どこでもつく。だから次は吹き替えをやりたい、というのが彼の考えでした。
字幕がうまくいったのだから、吹き替えもいけるだろう。僕はそう思っていました。これが意外と、うまくいかなかった。
AI の性能の問題ではありません。AI は言葉だけを見ていて、動きを見ていないんです。技術の動画では、言葉と映像の動きが噛み合っていないと意味がない。そこを合わせるのが、どうしても難しい。
これは限界があると思いました。彼には妥協してもらって、字幕でいくことにしました。
もちろん、この先変わる可能性はあります。もっと上手く吹き替えを当てる方法が出てくるかもしれない。
ただ、ぶつかった壁はもう一つありました。この先 SubPro を使う人が増えたら、一本一本を手で直すことはできない。自動でやるしかなく、その中で精度を上げていくしかない。だから、100点はどうしても無理なんです。 今回いちばんはっきり見えたのは、そこでした。
自信があったプレイヤーに、注文が山ほど来た
意外だったのはプレイヤーです。一番自信を持って作った部分でした。
そこに、もっとこうしてほしい、が次々に来ました。
- 画面をタップして早送り・巻き戻し
- 倍速だけでなく、1.25倍のように細かく刻んだ速度
- 縦持ちのままでのズーム
最後のが一番意外でした。僕はスマホで動画を見るなら横持ちが当たり前だと思っていた。彼の会員は、縦持ちのまま見る人が多い。その状態で、見たいところをこう拡大したい、という注文です。
しかも彼は Android で見ていて、僕の手元は iPhone でした。同じ注文でも、iPhone ではできないことが出てきた。
検索と分類にも、細かい注文がたくさん来ました。特に分類は、そういう分け方をするのか、と驚くことが多かった。

僕が「こうだろう」と思って作ったものは、ことごとく外れていました。でも相手は、世界のトップレベルの動画を見まくって強くなった選手です。ここまで信頼できる意見はありません。だから、ほぼ全部入れました。入れられなかったものは、ほとんどないと思います。
練習ノートを、アプリにした
ジャーナルという機能もあります。
彼がふだん、スマホのメモに練習ノートをつけていることは知っていました。どんなふうに書いているかも、見せてもらったことがあった。それを、たぶんこんな感じだろうとアプリにしたのが始まりです。
見せると、確かにこんな感じです、と言われました。そのうえで、もっとこうしてほしい、が来た。それも入れました。
記録は 課題・発見・質問 の三つに分けています。限界に挑むというのは、自分の課題を自分で見つけて潰していくことだからです。動画を並べるだけでは、そこは支えられない。
ただ、ジャーナルはまだ完成していません。たとえば今、彼に直接質問できる機能はフォーラムにありますが、それをジャーナルからもできるようにするか考えているところです。どうなるかは、まだわかりません。
一番喜ばれたのは、一番手をかけた機能ではなかった
作る側として一番こたえたのは、この話です。
彼が最初に「これは楽だ」と言ったのは、プレイヤーでも検索でもありませんでした。
動画を置いておくだけで、勝手にサイトに入っていることでした。
新しい動画を撮る。Dropbox に置く。あとは何もしない。翌朝には取り込みが終わっていて、公開できる状態になっている。ファイルを選んでアップロードして、タイトルを入れて、という作業がない。
指導者が本当に困っているのは、技術の見せ方ではなかった。撮ったものを、載せる手間でした。動画を売っている人は、動画を作ることに時間を使いたい。運搬作業に使いたい人はいません。
何が分かったか
時間をかけて出した「アカデミーモデル」という答えは、間違ってはいませんでした。ただ、それが唯一の形だと思っていたのが間違いでした。
道場には道場の形があり、選手には選手の形がある。この先、空手やヨガや音楽の先生が来れば、また別の形が要るはずです。
SubPro で一番価値があるのは、機能の数ではないと思っています。その人の教え方に合わせて、形そのものを変えられることです。作る前から狙っていたことではありません。一人目を作ってみて、後から分かったことです。
そして、メールを送った
いよいよ、Patreon の会員に移行のお知らせを出しました。
無理に移ってもらう形にはしませんでした。45日間の評価期間を設けて、その間は無料で使ってもらう。気に入った方を選んでください。今まで通り Patreon でもいいし、SubPro に移ってもらってもいい。
メールを送りました。
その日のうちに登録してくれたのは、40人ほど。
実際に動画を見てくれたのは、そのうちの数人でした。
次回は、最初のお客さんがくれたものの話です。
それは、バグレポートでした。
英語版は Substack で公開しています。
← 開発ブログの一覧に戻る