サブプロ開発物語 #02

前回は、SubPro を作り始めたきっかけを書きました。今回は、今の SubPro にたどり着くまでの道のりです。遠回りしたことや、捨てたものも含めて、もう少し詳しく書きます。
最初に作ったのは、検索エンジンだった
柔術の練習をしていた頃から、ずっと引っかかっていたことがあります。教則動画を見ている時も、ある技を覚えたい時も、そこにすぐたどり着けない。
だから最初に作ったのは、どの技にも最短でたどり着くためのエンジンでした。名前は Jitstionary。柔術の技に一番少ない手数でたどり着く道具としては、正直、かなり良いものができたと思っていました。

友人の何気ない一言で、前提が崩れた
これは売れると思って、友人の岩本健汰に見せました。返ってきたのは、渋い返答。要するに「検索するより、動画を作るほうがずっと大変」ということでした。
その通りでした。デモには、仮のタイトルが約2000本入っていました。それより少ないと、検索エンジンとして説得力がないと思ったからです。でも実際には、技術動画を2000本も出せる人はほとんどいません。身近なところでは、金古一朗さんが2000本以上をサブスクに入れているのを見てきました。でも、それは例外です。
どれだけ検索が速くても、検索結果を埋める人がいない。つまり、誰も欲しがらない。
「じゃあ、何なら欲しいのか」からアカデミーモデルへ
そこで問いを変えました。本数ではない。どんな形なら、本当に欲しいと思ってもらえるのか。
たどり着いた答えはこうです。自分の生徒に、自分のカリキュラムを見せたい。道場ひとつの単位で、そう思っている指導者はたくさんいる。何千本もの動画は要りません。自分の教えを、自分の生徒に届けられればいい。
それを作ることにしました。「アカデミーモデル」です。必要なものを足していったら、できあがったものが SubPro の原型になりました。
もうひとつの行き止まり、決済の審査
最初は、機能てんこ盛りのものを目指していました。Uscreen のようなマーケットプレイスのようなものを作ろうと思いました。たくさんの指導者のコンテンツが、ひとつの大きな市場に並ぶ形。
そこで現実にぶつかりました。2ヶ月くらいかけてかなり作り込んだアカデミーモデルの仕上げで、決済の部分で決済会社の審査に落ちたんです。実績のない無名の人間が、いきなり本格的な決済を回そうとしている。断られて当然でした。しかも、そのドメインや会社ではもう2度と取れないとまで言われました。
だから方向を変えました。今の SubPro は、誰でも登録してすぐ始められる全自動のプラットフォームではありません。正直それを作るのは早すぎたのです。なので、個人商店を1店舗ずつ作る方向に変えました。普通のホームページ業者と同じスタイルです。
ところでなぜSubProがうまくいくかと私は考えたかというと、世界中の道場の生徒が自分の先生のテクニック動画を欲していると考えたからです。家で復習したり、予習したりするためです。有名選手の動画はBJJFANATICSに山ほどありますが、自分の先生はクラスで教えるだけ。そういう道場が多いと思います。そういう先生がSubProで自分のサブスクサイトを持つことができれば生徒も嬉しいし、先生も会費以外の収入源になるので誰も損しないと考えたのです。
そしてそのための専用プラットフォームがまだない。だから僕が作ろうと思ったのです。
指導者は自分のメディアを持つべきだ。 今の SubPro の真ん中にあるこの考えは、ここから来ています。
遠回りが、設計になった
Jitstionary の検索。2000本の問題。落ちた決済の審査。その時は、どれも失敗か行き止まりに見えました。でも今思えば、どれもが「SubPro はどうあるべきか」の答えを削り出してくれた気がします。
ただ、正しいものを作るのは、簡単なほうの半分でした。次回は、動くものができたのに、それがあることを誰ひとりに伝える手段もなかった話です。
この話は X でも公開しています。英語版は Substack で連載しています。
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